憧れていた
地上に無い色の光が
また誰かを連れていく
脈みたいな道路へ流した願いは
橋くぐる度 大人びて
戻った日には 日が短い
奪われそうな路地裏は匂い立ち
衛星が見下ろす一日ごとに
剥がれる瓦一枚ごとに
気づいた日には 日が短いんだけど
見つけたり 失くしたり
変わる街で 待ち合わせたいのはあなたで
聞き慣れていた交通情報と
働く家電の音よこして欲しい
地平線が崩れて 朝日が遅れても
ランプウェイは
誰かの深呼吸に頷いて
人を渡す
見つけたり 失くしたり
変わる街で 待ち合わせたいのはあなたで
渋谷で飲んだ日、窓際の席で、道路のアスファルトがベリベリ剥がされていくのをしばらく見下ろしていました。それで再開発について書き始めたこの曲なのですが、昨年の10月台風19号がきて、意味合いを少し広げることにしました。開発や災害によって待ち合わせの目印にしていた場所が無くなったり、新たに整備されたり、そんな変化の中で暮らしていくんだということを歌いたかったです。
人は目に見えない力とか、奇跡と呼ばれるものを信じて憧れるのに、一方でそういうものによって何か失うことがあります。「どうしてあの人が死んでしまったんだろう」とか。毎日通った路地裏が、普段通りの生活が、そこに在るということを意識するのは難しくて、私も気付くのがやっぱり遅いです。のちのち断片的にも思い返せるのは、路地裏や生活は全てを知っていて、あの頃から匂い立っていたからかも知れません。ラジオが伝える交通情報や冷蔵庫がブンと鳴る音、一定の頻度で会える人についても、台風が通過していく夜になってやっと、恋しいと思いました。
翌朝マクドナルドの窓際の席で、氾濫した川について、橋や道路について考えていました。人を渡していくものとして。ランプウェイは誰かの決意を知っているみたいに、その決意に応えるように又、人を渡してくれます。